私が宇宙に興味を持ったきっかけ
こんにちは。今日は肌寒く、どんより天気で、気分もどんよりです。
サイファ・キネシオロジー カウンセラーMASUMIです。
今日は、そもそも私が宇宙に興味を持ったきっかけをお話ししたいと思います。
大きくは、2つありました。
1つ目は、小学校6年生の時にスペースシャトルの打ち上げをテレビで観たことでした。
ちょうど理科の授業で宇宙のことを勉強したばかりで、担任の先生が
「今晩夜遅くにこの前勉強したスペースシャトルの打ち上げがあるから、興味がある人は観てみたらいい」
と教えてくれました。
それが、スペースシャトルチャレンジャー号の最後のフライトでした。
(私の記憶では、生中継だった気がしていましたが、改めて調べてみると違うようです。)
当時、星空観測会などで望遠鏡から見える天体に魅せられていた私は、
「宇宙に行ったら、あのきれいな星たちはどんな風に見えるのだろう?」
と宇宙に行くことに少し興味を持ち始めていた時期でしたので、本当にワクワク、ドキドキしながら中継を観ていたのを覚えています。
そんな中でのチャレンジャー号爆発事故でした。
その映像は本当に衝撃的で、ああいった大きな事故の映像を見るのも初めてだったように思います。ですが、私にとってもっと衝撃的だったのは、事故を目撃していた見学者たちの悲鳴や嘆き悲しむ姿でした。
当時の私は、
「好きなことをして死んだのに、あんなに世界中の人から悲しんでもらえるなんて、宇宙飛行士はなんて幸せな仕事なんだろう」
と強く思いました。
その数年前から、親との関係や学校でのイジメなどに苦しみ、「死にたい」と考えていた私には、本当に衝撃的でした。
当時、若年層の自殺が相次ぎ、ニュースなどでも問題になっていましたが、私の両親はそういったニュースを見ると「なんでそんなことで死ぬんだ。親不孝が。馬鹿な子供だ。」などと亡くなった人や自殺を試みた人に対してをさげすむような発言を繰り返していたので、「死んで、大勢の人に悲しんでもらえる」ということが、とても魅力的に映ったのです。
そして、それがすでに興味を持ち始めていた”宇宙飛行士”という職業でした。
そこで私は
好きな宇宙に行けて、失敗して死んでもみんなに悲しんでもらえる素敵な職業
=宇宙飛行士
になりたいという思いを強くしたのでした。
今、考えると事故で嘆き悲しんでいたアメリカ人は、自国の宇宙開発の事故そのものを悲しんでいたのかもしれないし、ただ悲劇を目撃したということで泣いていたのかもしれませんが、当時の私には宇宙飛行士それぞれの死を悼んでいたように思えました。
今、こうして思い出しながら書いていると、本当にゆがんだ思考をしていたなあと感じますが、当時は本当に真剣に、真面目にそういったことを考えていたのです。
2つ目のきっかけは、機動戦士ガンダムを観たことでした。
私の年代なら多くの人が知っていると思いますが、当時このアニメは子供や大人たちにとても人気があり、テレビシリーズが終わってから何年も経っていましたが、24時間テレビや夕方の再放送の時間などでたびたび目にするものでした。
多くの人は、その中に出てくるモビルスーツに魅せられていましたが、私は宇宙に行くと地上では使われていない脳の大部分が覚醒し、
「目の前の人と話をしなくても分かりあうことができる」
というようなニュータイプという人の概念にとても興味を持ちました。
当時、周囲の誰からも「自分は理解されない、わかってもらえない」という孤独感を募らせていた私は、
「このニュータイプという人になりたい、ニュータイプの人に会いたい」
と強く思ったのです。
この頃は本当に
「自分をわかってくれる人が欲しい、わかりあいたい」
という飢餓感を抱いていたので、そういった能力が宇宙に行くことで得られるのなら本気で宇宙に行ってやる!という思いを強くしたのです。
今考えると本当に子供じみて、人に話すのもとても恥ずかしいのですが、こういった歪んだ、けれども強い思いを持って「宇宙」に行くことを将来の夢・目標にしたのでした。
それ以降の私は、この夢を強い心の支えにして、つらいこと、苦しいことを乗り越えていきました。
だからこそ、その夢がある意味実現した前職(ロケットの設計の仕事)が、なかなか辞められませんでした。辞めるわけにはいかなかったのです。
(実際のところ、会社を辞めた今でもやっぱり宇宙への夢は捨てきれていません。ホント、ゆがんでますね・・・(笑))
これが、私が「宇宙」に興味を持ったきっかけです。
今客観的に見直すと本当の夢は、「自分を理解してくれる人を探すこと」ですかね。
そう考えると、宇宙の仕事よりも今のカウンセラーやセラピストの仕事の方が、そちらに近い気がします。(笑)
0コメント